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立命館大学人文科学研究所重点プロジェクト「グローバル化とアジアの観光」主催 ワークショップ 「ダークツーリズムという問い」

立命館大学人文科学研究所重点プロジェクト「グローバル化とアジアの観光」主催ワークショップ
「ダークツーリズムという問い」

【テーマ概要】
ダークツーリズムは、それ自体が、3重の意味で問いそのものであると言える。
一つ目は、社会に対する問いである。ダークツーリズムを通して、災害、テロ、戦争、貧困・・・など見つめ、社会そのものを再考することになるだろう。
二つ目は、ツーリズムに対する問いである。ツーリズムは、これまで、地域の素晴らしいものを体験しにいくものだとされてきた。だが、ダークツーリズムでは、そうした光の側面ではなく、災害、テロ、戦争、貧困・・・などの「ダークネス」の側面が重要となる。それでは、「ツーリズムとは何なのか」。この問いを、ダークツーリズムは、提起することになる。
さらに、この問いをつきつめていけば、「ダークネスとはそもそも何か?」という問いに突き当たらざるを得ない。「ダークネス」そのものが社会の中で創られ、つねにうつろうものだとするならば、「ダークネスとは何か?」という問いはダークツーリズムそれ自体に対する問いかけに結びつく。
本ワークショップでは、ダークツーリズムがこうした「3重の<問い>として存在する」ことを出発点にすえ、活発な議論を展開していきたい。

開催日:2014年11月16日(日)、午後1時~午後6時30分
開催場所:衣笠キャンパス清心館

プログラム(予定) 以下、敬称略
1.主催者挨拶+重点プロジェクトの位置づけ
(藤巻正己:立命館大学文学部)

2.コーディネーター趣旨説明「ダークツーリズムという問い」
(遠藤英樹:立命館大学文学部)

3.報告

(1)ダークツーリズムと観光経験――被災地観光をめぐる一考察(市野澤潤平:宮城学院女子大学)
ダークツーリズムは大まかに、(多くの人びとの/特筆すべき事件としての)死と苦難が生じた場所を訪れる観光、と定義されるが、その内実への理解は未だに漠としている。こうした「ある種の場所を訪れる観光」という定義は、例えば「日本を訪れる観光」のように、ツーリストが何をするのか、何を感じるのかについての情報を含まない。結果として、ダークツーリズムとして語られる観光の内実は、極めて多種多様なものであり得る。加えて、ダークツーリズムに関する既存の研究の多くは、その(場所の)提供・運営側に着目しており、ツーリストの活動や経験への考察は不十分だ、という指摘もある。従って、ダークツーリスト(?)は何をいかに観光するのかを問うことは、ダークツーリズムを他ならぬ「ダークツーリ
ズム」として語ることの理論的な意義を模索する上で、不可欠の作業である。
以上の問題意識において、本報告では、ダークツーリストの観光経験についての、簡単な考察を行いたい。その際、ダークツーリズムの典型例または成功例とみなせる実践に着目するのみならず、2004年のインド洋津波被災から10年を経たタイの観光地プーケットにおいて、被災地観光といえる現象がほぼ皆無であるという「ダークツーリズムの不在」の事例も念頭に置きつつ、議論を展開したい。

(2)戦跡の集合的想像力(山口誠:関西大学社会学部)
すべての戦場が記憶され、戦後に多くの人々が訪れる戦跡になるわけではない。むしろ数多の戦場は忘れられ、また戦跡も忘却と風化の波に曝され続ける。戦跡は人の手によって創られ、維持され、失われていく。
他方、長らく忘れられていた戦場のなかには、新たに戦争の記憶を想起する人びとと、その記憶を共有する人びとが現れ、ともに交流することで、(再)発見されて多くの観光者を集める「新しい戦跡」もある。
ならば戦跡とは、そして戦跡を観光するという行為とは、いかなる社会的意味を持つのだろうか。戦跡を観光する人びとの動機は多様であり、そうした個人の心理を明らかにすることはできないが、ある戦跡が社会的に誕生していく歴史過程を事例分析し、そこから「戦跡の集合的想像力」を問うことを本報告は試みたい。完成度の高い理論枠組みは提示できないが、いくつかの論点を提起し、報告者・討論者との議論に資することを目指す。

(3)聖地巡礼における死の表象――体験型ダークツーリズムの可能性(岡本亮輔:東京大学死生学・応用倫理センター)
本報告では、主に現代西欧カトリックの聖地巡礼を事例として、死の表象の変遷について考察してみたい。カトリックの聖地は、①聖遺物の聖地、②聖母出現の聖地、③徒歩巡礼の聖地の3つに大別でき、それぞれにおいて異なる仕方で死の表象が組み込まれている。
聖遺物の聖地では死はモノとして存在し、ゲストが観察可能なものとして提示される。聖母出現の聖地では、死は見神者である聖女の遺体という形で現前し、ゲストが対話可能な存在として示される。そして徒歩巡礼の聖地では、巡礼者の墓を通じて、自らに起こりえたかもしれない可能性として死が示唆されるのである。
この三区分は19世紀末から21世紀にかけての時代の推移にも対応しており、本報告では、社会の世俗化にともなう私事化の帰結として、観察対象である博物館的な死の提示から、想像的に対話する二人称の死を経て、個々人が自らの死を疑似的に体験する形へと移行していることを論じてみたい。

(4)言説としてのダークネス――ダークツーリズムをめぐる概念化・権力・批判(De Antoni Andrea:立命館大学国際関係学部)
本発表では「ダークツーリズム」の特徴とされている「ダークネス」に注目したい。ダークネスという概念が十分に解明されないまま、ダークツーリズムというカテゴリーを再生産する研究が多い。本発表では研究分野としてのダークツーリズムそのものを言説として位置づけ、この構築過程に着目したい。まず先行研究を検討し、ダークネスの概念の用い方を明らかにする。これによって、必ずしも根拠のない「死に関わる場所=ダークな場所」という方程式が前提とされると同時に、「ダークツーリズム=のぞき癖」というような批判が生じることを解明したい。また当該学問が構築・ブランド化されていく過程で、アクターたちに権力が付与され、「ダークツーリスト」に対する批判が一方的に再生産されゆく側面を論じる。こ
のとき民族誌的データに基づき、「ダーク」な二つの場所(恐山と京都の清滝トンネル)での観光客の体験に依拠する。そして、既存の「ダークネス」の定義がうみだす問題群を明らかにしたい。

4.ディスカッサントを含めた議論
橋本和也(京都文教大学総合社会学部)
須藤廣(法政大学大学院政策創造研究科)
神田孝治(和歌山大学観光学部)
福間良明(立命館大学産業社会学部)
Kannapa Pongponrat(Thammasart University)